肱川の過去の洪水一覧

 肱川の治水計画において、基本高水流量は毎秒6300トンと決定されています。この流量がどのくらいのものであるか、数字だけではピンときませんので肱川の過去の洪水と比べてみます。

 下のグラフは、元禄元年以降の肱川の主な洪水をまとめたものです。流量()ではなく水位(尺
)での記録ですが、ピーク流量が毎秒5000トンであった昭和20年洪水をもとに比べてみますと、昭和20年洪水と同程度かそれを超えるような洪水が何度かあったことがわかります。
 ただし、天保2年10月に洪水対策として大洲盆地の肱川最下流部の狭さく部である慶雲寺山角切除け工事が行われており、それ以後は大洲地点の水位は下がっていると考えられるため、1826年の洪水が1688年以降最大のものであったとは言えません。
 従って、昭和20年洪水のピーク流量50001.26倍もある6300という流量は、河道や堤防の状況も違うでしょうから正確には言えないとはいえ、元禄元年から現在までの315年間をみても、そんな大洪水はあったかどうかという巨大さであると言えます。




 上は水位での比較でしたが、流量でも比較してみます。下のグラフは、1934年以降の洪水時の流量をまとめたものです。6300という数字が、肱川の現状に対していかに大きいかわかります。そのような、いつ来るやらわからない大洪水に備えるといって上流にダムをいくつも建設するよりも、流域のどこに降った雨にも必ず対応できる堤防を整備する方がよほど現実的かつ効果的です。
 治水で重要なのは、100年に1回あるかどうかという大洪水の際の流量をどれだけ減らせるか、ではなく、もっと頻繁に起きている規模の洪水に備えての、より確実な安全対策です。